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勝敗競争のなれの果てに待つものとは

今の教育や社会では、どうしてもウィン・ルーズを前提として考えてしまうことの方が多くなってしまっています。それは高度経済成長期が終了し、少なくなったパイを取り合うようになってしまったからと言えます。愛は無償を意味することですらも、何か嘘っぱちに聞こえてきます。自分だけが損をしまくっているのではないかと。兄弟同士でも兄よりも、弟よりもいい子になれば、親からの愛情をもっともらえるのかもと思ったりしてしまうと、ウィン・ルーズが当たり前になってしまいます。友達同士でも同じです。一番仲の良かった友達が、その後知り合った友達と仲良くなってしまったら。子供は両親から、友達から、仲間から認めて欲しいと思うのですが、相手もまた、ウィン・ルーズの原則で人を見てしまうこともあります。こちらの方が付き合いやすい、メリットがありそうだ等。

 

学校はさらにそのウィン・ルーズを加速させます。テストの点数やら、徒競争の順位やら、通信簿やら、偏差値やら。成績のいい人間は優れた人間と評価されます。人の価値も常に他者との比較が行われます。本来のその人の内面的な価値は全く認められません。その人の外からの評価で価値が決まるのです。さらにその成績が社会において、価値をもって、色々な機会の扉を開けたり、閉じたりします。今の教育は協力よりも競争を第一とします。

 

スポーツはウィン・ルーズの典型と言えるでしょう。試合に勝った負けたで評価されます。そして何よりも勝つことだけが評価されます。その結果、多くの人間にとって、勝者と敗者に分けるゼロサムゲームと言う考え方に固執するようになります。

 

法律も同じです。何か問題が起きたときに、裁判所で解決しますが(和解も含め)、そこでは敵同士ですので、どちらかが有利でどちらかが不利な、ざっくばらんに言って勝ったの負けただのが決められます。

 

競争的な状況で、ウィン・ルーズの必要なときがあることも否定できませんが、人生は本当のことを言えば、競争ではありません。毎日、夫婦、家族、同僚、友達の間でどちらが勝ったの負けただのを競いながら生きているわけではないのです。

 

人生のほとんどは自立したものではなく、相互依存状態の中にあって、人が望む結果は、ほとんどが人と協力をすることによって、はじめて得られるものばかりです。ウィン・ルーズは、その協力関係をなきものにする考え方であって、およそ効果的なものとは言えないのです。

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