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拘り過ぎがコミュニケーションを阻害する

もう一つのルールは、あまりにも心が痛む話になったら、その日の話はそこで終わりにするというものです。翌日は終わったところから始めるか、あるいは相手がその話を続けてもいいと感じるまで別の話題に変えます。例え、その場で解決できない話が残っても、いつかそれについて話ができると思い、結論を急がないようにしました。

私たちのコミュニケーションにおいては、一番充実する場面は。両方が傷つきやすい部分が重なる問題について話し合ったときでしょう。このようなときには、作用と反応の間の空白が消え、怒りのような感情も出てしまうこともあります。しかし、一度話を打ち切り、気持ちを落ち着かせてから、再度話し合って解決する強い希望や決意があれば、それを乗り越えることができます。

また、難しい点は、自分の個性と関わっているものがあります。不安を感じやすい性格の持ち主ですと、自分の殻に閉じこもって周りを観察する傾向があります。逆に社交的な人であれば、心のこもった人付き合いに長けており、非常に自然体で接します。このような個性がぶつかり合うと、閉鎖的な個性の持ち主から見ると、あまりにオープンな人の接し方が気に障り、開放的な個性の持ち主から見ると、閉鎖的な人が自分のコミュニケーションを遮断しているように見える時があります。このような点に関しても、お互いの話し合いで全てが明確になっていきます。

閉鎖的な人と開放的な人のコミュニケーションにおいて、心を開くようになれば、開放的な人のペースになっていくかもしれません。そうなると閉鎖的な人は、開放的な人の感受性のある社交的な接し方に変われるように、その人のアドバイスを受け入れられるようになっていきます。

また、別の視点で、何かにこだわりがある人と、その何かにこだわりがない人の間でも色々な軋轢が生じます。こだわりがない人からすれば、その執着が理解できません。そして気に障ることになります。例えば、レストランで国産のものに拘る人がいるとして、店員に対して、これは国産?外国産?と聞くと、こちらからすれば、どちらでもいいじゃんよ、食えればと思ったりもしますが、その人にしてみればそのこだわりがすべてなのです。

こだわりがない人は、食べたいものが国産であろうと外国産であろうと自由に注文すればいいことなのですが、何か注文さえしずらい雰囲気になります。これも一つの価値観がだと思って、こちら側としては黙っていればいいですし、相手の注文するものに対しては、それを尊重すればいい。さらに自分が食べたいものがあれば、それが国産であろうと何であろうと勝手に注文すればいい。まあ、要するに気にしすぎないことですね。

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