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知識は人生を成功に導くためのツール、インプットをしてアウトプットせよ

聖書において、神様はエデンの園の中央に「生命の木」と「善悪の知識の木」を生やし、アダムに決して「善悪の知識の木の実」を食べてはならない「食べると必ず死んでしまう」と言いました。結局善悪の知識の木の実をイヴにそそのかされて食べてしまったことでエデンの園を追い出されるというのが、創世記の一説になっています。

エデンの園がどこにあるのかは、色々な説があり、チグリス・ユーフラテス川の源流であるアルメニア地方とも言われていますが、自分は勝手解釈をしていて、古事記にいう「高天原」ではないかと思っています。いわゆる天照大御神のいる天上界ですね。善悪の知識の木の実を食べることで、人は知識を獲得するということを覚えます。自分自身で善悪を判断するようになるわけです。知識を得ようとするから人なのだと思います。そして人となり、神様から離脱することで人間は永遠の命を捨て去ったともいえます。

それ故、人は人であるがゆえに、知識を得、知性を高めようとします。知識を得ることを単に教科書を読むことだと思ったら、それは一部にしかすぎません。社会に出る前よりも、社会に出てからの方が多くを学びます。教科書の中よりも教科書以外の方がより多く学ぶべきことがあります。

確かに書物には先人の知恵が記されています。それを読むことには大いなる意味があります。ですが、書物だけから知識を得ても、それを自分のものとしない限り、何の役にも立ちません。知識は自分のためだけに役に立てばよいものではなく、社会のために役立たねば意味がありません。それらの知識はむしろ実践や社会貢献をしなくては、得られるものではありません。じっと机に向かって、本を読んでいるとか、パソコンの画面を見ているだけではダメなのです。

誰かを喜ばせる方法を学ぼうとしたら、本を読んでいるだけでは意味がなく、実際に目の前の人を喜ばせてその反応を見るべきでしょう。こういったことは学校でも教えてくれませんし、ましてや教科書に書いてあるものでもありません。知識は外部のリソースから得られますが、知性は内面から磨くものです。ちなみに教育の英語エデュケーションの元の言葉は、ラテン語のエデューコで、「内側から引き出す」という意味があるそうです。従いまして、知識を詰め込むことは教育ではないということです。その知識を基に自分の内側にある知性をアウトプットしたときにはじめて教育と言えるのです。

知性を磨く方法は、先人の偉大な教えを学び(インプット)、それを基に実践することなのです。そして後は試行錯誤を繰り返し、自分の成果として行くことにあります。

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