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消費者の立場に立った情報発信という以上に、消費者が発信する情報にこそ価値がある

なぜテレビを見るのか、なぜ新聞を読むのか。「知りたい」「楽しみたい」「リラックスしたい」「世の中のことを知っておいた方がいい」等、積極的、消極的かはともかく、そのような理由があるからである。「知る」「楽しむ」だけならば、テレビである必要も、新聞である必要もない。そこでインターネットと、大量のデータ送信が可能になった環境が、テレビや新聞に対する依存度を大幅に減らしてしまった。

 

ここでソーシャルメディアの登場だ。おそらく理由はテレビや新聞と変わりないだろうが、そこに新たに「他人とのつながりを求めて」という理由が加えられた。インターネットのない時代はテレビや新聞で得た「情報」を、リアルの場(学校、職場)で「あれって面白くねー」「俺も見たよ」「笑えたわー」「びっくりした―」とか言い合って、みんな同じ知識を持ち、仲間意識を感じていたはずだ。それがインターネットの登場後は、オンラインで、即座に仲間意識を感じることができるようになった。「事件はオフラインで起こるが、交流はオンラインで起こる」とそんな感じか。

 

いずれにしても、「知りたい」「楽しみたい」「リラックスしたい」「つながりたい」と思うわけで「邪魔されたくねえ」と思う気持ちは強い。地上波民放は広告があるから成り立っているにもかかわらず、やはり広告はウザい。

 

新聞の存在意義はとても大きいと思うのだが、そもそも今日起きたことが明日の朝になってしかわからないというのは、致命的とは言わないが、タイムリーに知ることのできるネットニュースの方がより価値がある。プロ野球やサッカーだって、好きなチームが勝った日だけダイジェストで見るのも楽しみだが、勝つか負けるか一喜一憂しながら、チームの試合を見る方が楽しい(もちろん最後にひいきチームが勝ってくれればだが)。ネットニュース(今やツイッターになっているが)をライブ中継とするならば、新聞は結果が出た後のダイジェストに過ぎない。さらに言えば、記者や編集者、新聞社の(偏った)思想がその情報に込められている。プロが客観的に伝えている、なんていうから、さらに腹が立つ。

 

ここで二つの論点が炙りだされる。一つは、誰かからの情報は必ず偏っている可能性が高いということ、それにお金が絡むのならばなおさらだ。お金が絡んでいない場合には問題はない。それは個人の勝手な一意見に過ぎない。その情報を自分なりに咀嚼すればいい。二つ目は既存のメディアはリアル性に乏しく、ネットはリアル性に優れていること。

 

一つ目の「誰かからの情報」の最たる例が広告だ。広告がネットにも侵食してきており、「リラックス」や「他者とのつながり」を阻害しようとしているのは気がかりだ。広告以外のインフルエンサーによるマーケティングや、専門家による文章も所詮は「誰かからの情報」である。

 

これらのことに嫌気が指している人も増えてきている。そのため、〇〇という商品を買いたいとして、メーカーによる〇〇動画よりも、Youtubeのド素人動画「〇〇を使ってみました」の方が参考になる。単に使ってみた個人的な感想をアップロードしているだけだからだ。そこに〇〇を売ってやろうという意図はない。

 

メーカーや小売店、あるいは飲食店のように、売りたい人が売りたいものを伝える情報ではなくて、消費者(生活者)の立場に立った情報発信こそが、一番消費者に喜ばれる情報なのである。消費者に喜ばれる情報を発信した「会社」の商品が売れる、とは教科書的な発想。もっと究極なことを言ってしまえば、モノを売りたい側の発信する情報は大きな意味をなさない。その商品を買い、サービスをを受けた消費者が情報発信してくれるのが一番信頼できるというものだ。

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