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SNS時代における広告のあり方について

はっきり言おう、広告ってウザい。

かなり前、SNS疲れしている若者が多いというニュースがあり、そろそろSNSデトックスが起きるだろうと思っていたら、デトックスどころかLINE離れかい。自分は既読したら早く返さなきゃならんのか、面倒だ、と思い、返事が義務になって窮屈に感じていた今日この頃。若者は未読スルーは今や当たり前(今どきの若い奴全部ではないだろうが)ときたもんだ。しかも「未読は開いてみないでまとめて消す」。ここまで来たかい。お互い、連絡を確実に取り合うとかではなく、取りたいと思った時に取る、一方が取りたくないと思ったらそれを容認する、そんな緩やかなルールが出来上がりつつあるということか。緊急の要件(SOS)のときは「SNS」は使えない、あるいは多く友達、あるいはフォロワーがいれば誰かが気付いてくれる。それに期待するしかないということだろうか。

ちょっと脱線した。コミュニケーション疲れは当然あると思うが、TwitterやInstagramがコミュニケーションの代わりを務めているようで、そもそもLINE離れを起こした原因は「広告」のようだ。

大量消費、大量販売の時代には、個々人の所得による制約はあるにせよ、購買力はある意味無限だった。人口の増加によって経済のパイは拡大し、人の購買意欲を掻き立てさえすれば物は売れた。しかし今の時代は、人口は減少の一途、所得は増える見込みがない。明日の職も実はどうなるかわからない。企業へしがみつくならばブラックな状況でも引き受けざるを得ない。残業ばかりで休みもなく、仕事に明け暮れ、将来の光が見えない。大企業に勤めていれば安泰でもなくなった。不安定が当たり前の時代になった。書いてる自分まで憂鬱になってくるが(笑)、いつ食べていけなくなるかわからない状況では、日々生きていくのが精一杯か、もしくは買い控えして節約しなければ近い将来生活できないかもしない時代になってしまったのである。欲だけ高めておいて、買い控えしなきゃならない、我慢しなきゃならない。極端な話、広告時代が拷問に思えてくる人もいるだろう。

テレビ離れや、録画で広告を飛ばすこともできる世の中。現在はインターネットも含め、情報の洪水が起こっており、脳で処理しきれる量をはるかに超えている。それゆえ、自分に関係のない情報はできる限り遮断したい。脳が自分に関係のない広告なんて、もうイヤと悲鳴を上げている。

結論を言おう。SNS時代における広告は「やめてくれ」だ。人とのコミュニケーションを広告で妨げられてしまうのが困るのだ。SNSとは本来緩いコミュニケーションの場であり、そこに押しつけがましい広告が入ってくるからおかしくなるし、そのうち逆効果で嫌われることになるだろう。

SNS時代の広告のあり方は、「買え、買うんだ、買ってくれなきゃ困る」というような企業が売りたい商品の押し売りや割込み「広告」ではなく、消費者が興味を持つようなお得な情報の「お知らせ」程度でとどめておくべきだ。しかしそれだと興味をそそられない。それならばその情報にいかに「話題性」を持たせるか。少し古いが、2013年の第47回スーパーボウル(アメリカのフットボール)で、34分間の停電が起こった。そこで「オレオ(白クリームを挟んだ黒いクッキー)」が「停電?大丈夫さ。」というツィートとともに、スポットライトの当たったオレオ(黒い)の画像を映し、「暗闇でもオレオをミルクに浸せる」というキャプションが大うけして、リツイート数は15,000件、Facebookの「いいね」も20,000件を上回った。話題性が高い広告料を凌駕する。高い媒体で宣伝したからって、有難迷惑と思う人が多く、費用対効果が合わなくなっている。今はそんな時代なのだ。

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