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決済のビジネスモデルの始まり

決済とは、金銭等によって支払を行い取引を終了させることです。この決済には長い歴史があります。紀元前7世紀以前は、決済は物々交換だけでした。物々交換は、自分が欲しいモノと相手が欲しいモノを交換する最も原始的な決済手法です。欲しいもの同士を交換できない場合にはいつまでたっても交換できずに終わってしまいます。そこで貝殻などの物品貨幣が登場し、交換取引が広く行われるようになっていきます。しかし物品貨幣ですとかさばりますし、長期保存ができませんでした。さらに言えば価値が安定していません。そこで人類は価値を均一化させるために銀や銅のような耐久性や運搬性に優れた金属を貨幣素材として利用するようになりました。そこで一気に時代が14世紀まで飛びます。このころになると交易が発達することで、国を跨いでの高額取引が金銀等の貨幣による直接決済を難しくしていったのです。

そこで両替商が支店をヨーロッパ中に広げて、遠隔地同士での別貨幣による時間差決済を行うことを可能にしました。その中核にいたのがフィレンツェ(イタリア)を拠点とするメディチ家だったのです。メディチ家のジョヴァンニ・ディ・ビッチは誰よりも迅速で綿密な情報網を全ヨーロッパに築くことで、為替手形による為替・決済手段を高収益な手数料ビジネスとしたのです。例えば、A国からB国への為替取引がある場合、メディチ家は素早く逆方向の、つまりB国からA国の取引を見つけることで為替リスクを回避し、現金輸送をなくしました。これが多くの企業家たちにとって、便利で安全な決済ネットワークとなったのです。

この当時、キリスト教のカトリック教会は、「利息」を禁じていました。この為替取引は、手数料という名前ではあるが、利息を取る融資ではないのかと問題になったのです。そこでメディチ家はカトリックのローマ教皇庁より、利息ではないという判断を引き出し、銀行業を認知させることに成功します。判断を引き出したというのはかっこいいですが、要するにここで儲けた金を協会や慈善活動へ寄付し、さらに上納したのです。昔から宗教と金とは切っても切れない関係ですね。きっと神様はお金が好きなのでしょう(笑)。

さらに、1410年にメディチ家はバチカンの財務管理者となり、全ヨーロッパの各地からローマ教皇庁に集まる膨大な資金の管理を独占的に扱うことに成功しました。手数料はほとんどなかったのですが、各国の教皇庁から資金を受領してローマ教皇庁に収めるまでの期間、その資金を運用できました。これはでかい。メディチ家がここで作り出したビジネスモデルとは次の通りです。

(a) 国際的な決済・為替ネットワークの構築
(b) ローマ教皇庁(バチカン)をビジネスパートナーとした
(c) 公金為替という新たな収益モデルの構築

(教訓)
利息という禁じられたものを適当に言いくるめて、合法にしてしまう。
お上を味方につける。

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