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三井越後屋の、いい商売してますな

日本における画期的なビジネスモデルは、江戸時代の呉服店越後屋(現在の三越)のものが最も古くからあるものではないかと思われます。当時の老舗呉服店のビジネスは、①節季払い(集金が2~3回のつけ払い)、②掛け値(値切り前提の高めの値段)でした。越後屋は後発組でしたので、思い切った施策を打ち出しました。それが、「現金掛け値なし」の商売です。従来のつけ払いを、その場で現金でやり取り、従来の掛け値販売を、値引きなしの定価販売としたのです。これらはいずれも常識破りの手法でした。

これらは呉服店の資金繰りや貸し倒れリスクを改善しただけではなく、お客にとっても良い制度でした。といいますのは、以前は一見さんには高く、なじみ客には安くが普通でした。つまり呉服の値段は買う人によってばらばらだったのです。それをどんなお客さまにも、同じく安い値段で提供します、というものだったのです。これは画期的だったといえるでしょう。そして現金を店頭で持っている人ならだれでも販売しました。貸し倒れリスクを負わない分、価格に上乗せする必要がなくなりました。これはお客にとっての利便性を高めたといえます。

さらに当時は、富裕層家庭への訪問販売(屋敷売り)や店頭で注文を聞いて後で自宅へ届ける(見世物商い)だった商売を、店頭販売だけにしたのです。これはコストを下げ、価格も下げることができまして。加えて、当時は「切り売り」がタブー視されていましたが、お客さまが欲しいだけの「切り売り」やイージーメイドの「仕立て売り」を始めたのです。これらは江戸時代の中間層に大うけだったようです。当時は一反単位が当たり前の時代でした。仕立て売りでは、他の呉服屋では外部化していた縫製職人を雇い入れて、パーツごとに分業し、さらに即日納品を可能にしました。店員は反物の種類ごとに専門化し、お客さまの質問になんでも答えられるように教育されました。

このビジネスモデルを考え出したのは「三井高利」氏(う~むだから緑の銀行は利息が高いのか!)。後の三井財閥の基礎を築いた方です。元々は三重県松阪市(当時の伊勢)で生まれで、江戸で釘抜三井家を佐生行下長兄の三井高次に丁稚奉公をして番頭になりますが、その商才を恐れた兄たちに放逐され、松坂で金融業を営んだようです。長兄の高次の死後に、江戸で呉服店を開業。それが前述したように越後屋(後の三越)です。1673年のことでした。

兄弟に恐れられただけでなく、以上のような商法で、それまでの呉服店間のルールに反し、その繁盛ぶりに同業者からは嫉妬され、迫害を受けます。それで組合からの追放や引き抜き、不買運動にあい、江戸本町一丁目で始めた店舗を駿河町に移転します。糞尿をまかれたり放火されたりと大変だったようです。しかし、側用人牧野成貞の推薦によって幕府御用達の商人となってからは、幕府御用達店への攻撃は幕府に対する非礼に当たるため、こうした動きは影を潜めたようです。

しかしこの頃から、できる奴はねたまれるんですな。

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