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我思う故に我あり、我シェアするゆえに我あり

デカルトという17世紀のフランスの哲学者が昔、「我思う、故に我あり」という言葉を残した。これは、「自分が存在する理由を考えているのだから、考えている自分は存在するよ。」という意味である。すべての存在は疑うことはできるけれど、今考えている自分の存在は疑えない、と言いかえることもできる。デカルトの言うことは難しいから、わからなくても、多分生きていける。

 

だが、「我シェアする、故に我あり」という、アメリカの心理学者シェリー・タークル氏の言葉(I share, therefore I am.)は分かるよう努力しても意味がある。シェアとはSNSによるシェアのことであり、SNSでつながって初めて、自分の存在が世界に認められる(と思い込んでいる)、ということだ。

 

最近、「自撮り症候群」は精神疾患だとして、心理学者が警鐘を鳴らしている。以前、危険な場所で自撮りしようとして、ビルの上から転落して死亡した、という事件もあった。ある心理学者は「自撮り症候群の人は、自信がなく、周りの人たちに溶け込みたいと思っている」としている。自撮り症候群だけではない、いわゆるバカッター問題。ピザ屋でシンクに入り込んだり、生地を顔に押し付けたり、蕎麦屋の従業員が食器洗浄機の中に入ったり、冷凍庫や冷蔵庫に入ったり、しかもこれらの行為をTwitterに投稿する始末。中には閉店だけでなく、倒産に追いやられた店もある。間違いなく、拡散したし、個人にとっては大満足なのだろうが、店にとってその損害は取り返しのつかないものになってしまう。それが原因か、ツイッターのアカウントは停止し、あるいはやっていない飲食チェーン店も多い。もちろん、結果として個人も解雇、退職、あるいは大学も退学、顔も名前もわかっているから、就職も困難と、社会的制裁は受けているが、それだからいいというものでもない。

 

ツイッターだけでなくYoutube動画でも似たようなケースがあった。チェーンソーを持ったユーチューバーがヤマト運輸営業所を脅迫した事件。Youtubeの場合、視聴数で収入が上がるが、だからといって許される行為ではない。近年、大手広告主の撤退などにより、ユーチューバーが食っていけない世の中になると言われている。

 

また、以前、タレントのGENKINGさんが、いいね!してほしさに、高価なアクセサリーやバッグを購入し、Instagramにアップし、借金が膨らみ、みじめな思いをしたとテレビで話されていた。

 

Instagramは特にビジュアルコミュニケーションであるから、インパクトを出すためにアピール要素を押し出さざるを得ない。いいね!をもらえることが、有名になるという快感を覚えるのだろう。ここまでくると中毒としか言いようがない。リア充アピールもしかり、SNSでは、別の自分になれる。お金をかけて多くの友達と仲の良い写真も撮れる。虚構いいね!はなんか空しい。

 

いい大学だ、いい会社だ、お金持ちだ、ということで社会的存在を満たせば、その時は自慢が社会的に承認されたことになるから、快感になる。逆にいい大学へ行けなければ、いい会社へ行けなければ、そしてお金持ちになりさえしなければ、どこかで諦めることになるのでそれ以上の中毒にはかからないが、いいね!の場合は、誰でも、いつでも、バカッターのようにペケがつかない限りは無限にチャンスが回ってくる。もはやアルコール依存症に近いのかもしれない。

 

シェアしなければあなたに存在意義がないわけではない。生きているだけでも奇跡じゃないか、すごいじゃないか。男女の出会う確率やら、生を受けたということは、計算の仕方にもよるが2兆分の1の確率でこの世に生まれてきたことになる。

 

そんな確率の話はともかく、自分が自分を承認してあげれば、「シェアせずとも、我生きている、故に我あり。」

ただシェアすること自体は悪いことではない。中毒になっちゃって自分を見失うのが良くないこと。もう一つ言えば「我見失っちゃったら、我なし」だよ。

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